(今朝降り出した雨は一向にやまない。もう正午くらいにはなったと思うが何もできない…。
雨やどりと思って引っ込んだこの小屋は人に見られない分自由が利いていいが、屋根が不完全で190cm四方の狭い内部に四ヶ所くらい雨がもっている。さらに床の端っこから雨水も染みてきて、気付いたら背中側のシュラフがぬれていた。それでもまだこの居場所探しの難しいスイスでこの場所は有り難く、簡単にはここも諦められない。
運よくまだ誰も来ていないが、人が来たら雨であろうがなかろうが出るしかない立場だ。
1月4日に日本に帰ると決めてからはやはりどこか旅の感覚も失われてしまっていて、特に細部に注意が足らない。今の自分では無銭旅行は無理だろう。
/遅くてもあと3日のうちにはおばマーリスを訪ねられる距離まで迫ってきた。
今気になるのはおばの体調と、果たしてちゃんとお金は手に入るのかというところ。親戚を訪ねても自分の親が用意してくれたお金が手に入らないということなどまずないのだが、実際にやってみるまでどこか晴れない気持ちがある。
さて。
この書きものもだいぶ進んできた。旅で思ったこと、感じたことなどできる限り多くを書き表したいと思うのだが、やはりどうしても視角は固定・限定されてくる。何年かたったあとに読み返せば最も前衛的な部分はあまり扱えていないと思うのかもしれない。でも、良い。これで満足だ。数年後は数年後でまたその時とらえる核心を命一杯扱えばいいのだと思う。
おっと。そうこうしているうちに雨がやんだぞ。トイレもしたかったので勇んで出発しよう。)
2009.1.24
(昨日はまたおかしな一日だった。上記執筆後Solothurn駅まで出るが、出て間もなくまた雨。
おばに電話を試みるが不通で、駅につくと嵐にまでなり、運良く無料の公衆トイレがあって、そこで問題のトイレを済ます。外に出るや、なんと雨はやんで青空が広がり始めていた。
ためらわずすぐまた歩き出した。
途中SHELL(ガソリンスタンド)noコンテナでソーセージやチョコレート菓子、クロワッサン、パイなどまだよいものを見つけ、食事。天気が回復してくれたお陰でなんだかんだ昨日も10kmは進めたんではないかと思う。と、いうことは、調子がよければ明日にも親戚のもとに着く!急ぐつもりはないが、待ち遠しさには駆られるかもしれない。)
李を前には多少きついことを言った。それまで仲良く話していたのに自分からばたんと関係をやめたからだ。彼の心の卑しさゆえだが、去ったあとはそれでよかったのかと少し考えた。
Grazに戻るやまたすぐ出会いがあった。
離婚した中年女性が、ボーイフレンドと息子に会いに、町にやってきた、そんな3人組だった。僕は町を流れるたしかMur川といった川ずたいにもと来た道を戻っていた。スイスに戻るためである。
そう。李との出会いを持って僕は2週間の悩みに終止符を打った。
トローラー農場には期待をかけているかもしれない。それにイスタンブールからは一度スイスに帰る、といって歩いてきたのだ。その後がどうであれ、一度しっかりスイスにもどろう。そう思った。
道ばたで車を降りたところのカップルに声をかけられた。西側では声をかけられることもめずらしかったが、丁重に自分の旅を紹介するといきなり食事に誘われた。明らかに、悪い人達ではない。むしろどこかみずぼらしく、哀れみを買う感じがあった。
「OK.」
僕は即断した。
「無銭」とまでは言わなかったが、その可能性くらい向こうも想定しただろう、自分が夏に行ったフルーツ食の話をするとベジタリアンレストランにつれていってくれた。
たしかその時、「自分に今お金はないんだが…」と、払ってもらうのが当たり前でないような姿勢を示したが、
「いらないよ。これはおごりだ。」
と向こうはそんなことを言ってくれてた気がする。
そして自由に好きなものをとって計量器にかけて(重さで値段が決まる、というお店だった)支払いを済まし、4人で席につくと、いつになく大胆に、自分のやってきたことを話した。
話し出す前に、
「ちょっと言わなければならないことがあるんです。」
と出た僕には女性もピタッ、と停止するのが分かった。相手をおどかさずに本当の話をすることに慣れていなかった僕は少し失敗した。でも、ひどくはなかった。
食事を楽しむ余裕などないくらい話をした。それは、見知らぬ人と出会ってすぐに食事に誘うという西側世界ではふつう無い勇気というか親切に十分に受け答えしたかったからだ。(間違っても自分の話がしたいからではない。)
そして人と出会って話に集中するために食事が楽しめないというのはいつものことだ。
アンナというその女性の息子(14)はどこか閉じていて口数も少なく、話すと普通に声が出なかった。席も、4人で四角になるのではなく彼は僕から一席空けて左に座った。施設か何かに入れられて、しかたなく親に会いにきた、そんな雰囲気がした。
僕もはじめはアンナやそのボーイフレンドと談笑する感じだった。しかし話を進めていくや、アーロンというその息子の意識が度々僕に向いて、ついには彼が自分から質問をしてきた。おどおどしたトーンで。
僕は答えて、ただ話を進めてゆく。質問に応じて、最も的確な言葉でわかりやすく説明した。何を話していたか、もう具体的には覚えていないが、「不食」思想はもちろん、なぜ徒歩なのかという辺りまで一通り全部話したと思う。
僕がアーロンと話を交わすようになった辺りから、アンナが興奮してボーイフレンドと手を組むのが見えた。
「ん?!」
僕も内心おどろく。何かが、彼らの中で起こっている。
僕にはそれが何だかよくは分からない。でも彼らの顔を見る限りそれはハッピーな情感だ。1時間くらいそのなんでもない朝食に使ったかもしれない。僕はしゃべってばかりだったのでお皿が片付くのもびりっけつで、アーロンなどは一時退屈そうですらあった。
その後は食後のコーヒーなんかも頂いたりして、とりあえずおしゃべりは丸く収めることに成功した。
別れる時、ボーイフレンドが健康食品店から無数のナッツ類を買ってプレゼントしてくれた。そして最後に記念撮影をして別れた。
「なんだ?」
何か不思議な感覚が後に残った。それまでにはないタイプの自分がそこには確かにあった。それはマケドニアのイゴールを前に打ち出した自分と似ている。でもチェコのオタなど、セルビア最訪問の時はこんなんじゃなかった。でもこのアンナを前に自分のありのままを打ち出した後はスカッとした。そして気分がとてもよかった。
Grazから北へ上がる頃には自然界のフルーツも減り始め、気温もグッと下がり始めた。
でもヨーロッパ北回りを決断した頃からこの辺りの冬を覚悟していた僕はそれなりに準備も進めていた。
Wien南60kmほどのWienerNeustadtというところでは夜寝付けなくて町に出た際、コンテナからアヒルの羽の掛け布団が見つかって、これが非常に心強い見方になっていた。靴も、ギリシャでの原因不明の靴トラブルから、同じくタイヤゴムで足の甲に被せるパット作りも進めていった。だから雪の中を歩くのでもなければずいぶん自信はあったのだ。
そしてオーストリアでは食事にはまったくといっていいほど困らなかった。この旅でもっとも食糧の得やすい国がオーストリアだ。スーパーのコンテナだが、施錠してあるものや鍵のかかった場所にあるものもあるが、僕はほぼ毎日でも何か見つけられた。そして言い忘れていたが、ポーランドでスイス行きを決めた時から、あまり断食・断食とは考えないようにしていた。
もしスーパーのコンテナが気になるなら、行って、見てみる。
そしてオーストリアなどかなり高い確率で何かがあって、それが楽しみにもなっていた。そんな自分を許していた。
「食べたいなら、食べろ。」
いつからかそう思って、「不食」に対してゆったり構えるようになった。そしてオーストリアでは、実によく食事を享受した。
食事って、すばらしい。
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