はじめに
2009.1.4
今日は2009年1月4日日曜日。ここはRuanne, フランス、町外れのとある廃屋。
おとといの昼食から断食に入っていたが今朝早く町へ繰り出し、ごみから固くなった乾燥バゲットや崩れたケーキなどの捨てられたものを取り、食した。つい2週間前、クリスマスの頃は断食記録の更新に夢中だったのだが…?結局3日以上断食が進んでいない。
去る10月下旬の9日間の「旅断食」は、それだけで十分衝撃的だった。今更それより3日か4日長い「旅断食」は必要ない。これは言い訳であろうか?
まずはその衝撃と言える体験から話してみたい。題にあるように、僕はかれこれ4年間、「不食」というキチガイじみた思想とまじめに取っ組み合ってきた。
「不食」―人は食べなくても生きられる― 山田鷹夫 三五館
こんな本があると言われて、読んでみたいと思う人はどれだけいるだろう。読んだ人の中で僕ほど夢中になって、社会生活を犠牲にしてまで自らの身体を実験台に上げる人は、さらにどれだけ限られた数だろうか。僕は大学を去ってからのこの4年間をこのことに費やして来たことを今では誇りに思っている。
去る10月の半ば、僕は東欧18カ国におよぶ6000kmの旅から、スイスを目指してドイツバイエルン州を歩いていた。秋もすっかり深まり、雪がぱらつくことがあったが、日の光はまだ温かかった。僕が歩いていたのはTraunstein, Rosenheim, Bad Toelzといったアルプス北側の何のへんてつもない丘陵地域だが、ところどころにリンゴの木や泉があって歩くには気持ちよいところだった。
この旅の出発地点スイスも近づくにつれ、ドイツに入ったころから断食に対する意欲が湧いていた。僕は、あとでも詳しく話したいと思うが、お金を持たない旅をしていて、それができるのもその「不食」という可能性を信じてこそである。お金を持たない歩き旅―「無銭徒歩」―という旅をすることになったのも、「不食」に徹底的に対峙するためだったかもしれない。とにもかく、そうして歩いた6000kmだったが、実にこのバイエルン州までは十分な手応えが得られないでいた。断食をすることによる体調の変化にはいろいろあったが、どうも食欲が勝っていたのだ。ギリシャでは去る2008年2月、10日間の断食を達成したが、それは安静状態であった上に断食後はいつものようには歩けなかった。
しかしこのドイツのときは「ちがった」。10月18日、Traunstein過ぎた倉庫(農業器械)で同じように安静状態で断食に入った。しかし10月20日、水が必要になって町(Traunstein)まで繰り出す。水の用意を忘れていたのだ。だが…!町に出た際、スーパーのコンテナに手が伸びてしまった。ハムやチョコパイ、ヨーグルトなど結構な熱量のあるものを食べてしまった。
「ひょっとするとスイスで旅が終わるというのにここで食べていたら旅も終われない!」そんなことを思ってくやしくなった。だが、スイスの知人や親戚に話していた到着の時期をこれ以上ひきのばしにはできないので、追い込まれて、21日、「こうなれば歩きながら断食だ」ということに…。こんな、一見とってくっつけたような考え方がこの僕を完全に制御することになった。
その日(21日)頭に起こった注目すべき発想にこれがある:「人は食べなくても生きられる」ではなくて「僕は食べなくても生きられるのだ!」だ。「不食」を実践したいと思うなら、まずは「人は食べなくても生きられる」を受け入れることだが、究極的には自分自身やるのだから「僕は…」「私は…」と思うことなのだ。しかしこれは一歩間違えると「死」も大げさではない。「不食」を生きるということが、自分にとって、家族や社会にとってどういうことかを十分に理解せずに興味半分でやってしまうと、危険がないとは言えない。だから山田氏も著作の中でその点を明確に挙げている。不食を目指すのは、当然だが、すべて自己責任でやってください、と。
Traunsteinはずれのその農業器械倉庫から僕はSeegという町まで160km(40kmはヒッチハイク)歩き旅をしながら完全断食をした。僕は自分から車を止めることはしないのだが、人が2、3回車を止めてくれた際には厚意を有り難く思い少し乗っけてもらったりもした。一度はおしゃべり好きのおじさんが「アルコールなしビール飲むかい?!」と誘ってきて、一本もらったが、それはせっかく車を止めてこちらに関心を向けてくれているのだから断るのは悪いためであった。それ以外はもちろん、リンゴなど自然界の食べ物なども全く食べていない。
「僕は食べなくても生きられるのだ」と思ってしまった僕は、貧血によるクラクラや脱力感、虚弱感を一切といっていいほど感じなかった。たしかに食事をしないことで身体はやせていってズボンに生まれる余裕などは違和感になったが、問題ではなかった。夜なども太ももと顔の表皮がやけにポカポカとしていて寒さにも負けない。
衝撃だった。2ヶ月以上たった今もその体験が示唆する可能性ははかり知れない。「もし自分が不食になったらどうするのか。」、「どこで何をやって生きていくのか。」など、まるで人生のひっくり返るような問題に頭が一杯なのである。
2009.1.5
(相変わらず同じ廃屋で泊まっている。だが昼間運動でもしないと夜が眠れなくて退屈で仕方ない。断食をするとき必要なのは、何かやることがあることだ。今日はこの執筆を心ゆくまで進めた後は夕方から夜にかけては歩こうかと思っている。)
これから昨日とったメモによれば60以上の題目を挙げて書いてゆく。主な目的は自分のやってきたことを家族をはじめとした人たちに知らしめることだ。ソーシャルコミュニケーションサイト「ミクシィ」にも載せようかと考えている。ミクシィは個人的に全く好きじゃないが、一定量自分のことが載せられれば、今の時代、自己紹介には役立つ。それが主な狙いである。
そして満足の行くまで書けた暁には日本に2年ぶりに帰ることを夢見ている。
著者小川智裕
0 件のコメント:
コメントを投稿