ところが最後の最後まで悩んでいた僕は50kmくらい真北に進む道を選んでSalzburgを訪れ、そこからまた西を目指した。
ドイツに入ると、オーストリアの、どこか平和ボケした感じがなくなり、ピリッと引き締まるような空気があった。そして、いよいよ近づいてくるスイス。今回は迷いがない。ここでまたやめるとしたら僕の行く場所などない。そして、オーストリアに入ってからのいくつかの印象的出会いによって気持ちが変わっていた僕はより強くもなっていて、しばらく考えないようにしていた断食に再び意欲がでていた。
ドイツ入国が10月15日、10月17日の終わりにはTraunsteinという町の外れに人の来なそうな農業器械の倉庫を発見し、そこで断食に入ることにした。
10月18日、19日と2日間完全断食をすると、3日目、水を取りに町まで行く必要になった。
「飲まず食わずでは3日で死ぬ」
とは本当かということを確かめたい気持ちもあったが、それはこの時の本願ではないので挑戦はやめて水を取りに行くことにした。しかしその時、要らぬ考えが頭をよぎった。
「町へ行ったら、食べものがあるぞ。」
「きっと、食べることになるぞ。」
たぶんに悪魔のささやきというようなヤツだ。どうせ大したこともないクセに!
しかしその植えつけられた発想の種は芽吹いた。その時抑えられても、次くる時に全くおなじ誘惑に苦しむことになる。ここで耐え忍んでも意味がない。町に着くやいなや抑えようとする前に僕はスーパーからいくつか食品を見つけ、食べた。そして水場を見つけて水分補給も済ますと倉庫に帰っていった。
倉庫に戻ってふと我に還ると、すごく悔しかった。
「いっつも、こうだ!」
「2日、3日以上続かない。」
「ギリシャではなんでできたのだろう、やはり当時の解放感や達成感の強さだろうか…」
「もう時間もない。これ以上スイス到着を遅らせることはできない。」
僕はまた歩き出した。その日、夕方、ちょっとした出会いがあった。若くはないが、綺麗なクリスチャンの女性で、すれ違った時に目が合い、少し立ち話。
彼女もよく「歩く」のだそうだが、そんな彼女からうれしい言葉を聞いた。
『神様へ向かう道はキリスト教だけじゃないでしょう。私はキリスト教を選んだけど。』
高齢ながら崩れていない姿勢や表情、そしてきれいな顔は、自分の信仰を持ちながらそういうことが言える心の広さを物語っているような気がした。そして別れ際イエス・キリスト肖像画のカードなどプレゼントしてくれ、
「驚いたわ、あなたに出会って。」
と、彼女。
「いや、驚いたのはこっちです。」
と僕。僕はその人が好きだった。
そんなことがあったりしてその日は早朝の食事以外は道端のりんごを一個食べてみるくらいで終わった。断食をどうするか丸一日考えたり、考えるのをやめたりしながら…。
次の日、こう思った。
「こうなったら、歩きながら断食だっ!」
そんなまるで悔し紛れで思いついたことが実を結んだ。それから10月30日にあえて食事をするまでの9日半、僕を完璧に制御したのだ。その時の日記は今フランス語圏スイスのジャックという人のところに預けてある。いずれ人に見せてもいいと思っている。
この9日間の断食は自分でも衝撃的だった。ギリシャでの10日間とはまるで質が違う。その違いを僕はギリシャのは「断食」、ドイツのは「不食」であったという言い方で区別している。どういうことか:
簡単に言うと僕はギリシャでの断食中は自分がしていることを「断食」であると捉えていたのに対して、ドイツの時は「不食」、断食という概念を超えて「不食」という概念で食事を断っていたのだ。双方の差は雲泥の差である。「不食」については後に旅の話が終わった後に「不食」だけを扱うつもりであるので、このことはその時に預けたいと思う。
10月21日、「不食」の1日目、僕の意識して何度も繰り返し思っていたことはこのことだ:
「僕は食べなくても、生きられる」
「人は」ではなく「僕は」である。これが他でもない自分が「不食」になるのだという認識を固めた。 「人間は食べなければ死ぬ。」と言われている私達の社会で、このように思うことはそれ自体が頭が狂っていると言える。
そして教育では「死ぬ」と言われていることに対してそれとは違う自分の認識を信じ確かめようとすることはたいへんなことだ。「人は食べなくても生きられる」とは思えたとしても他でもない自分が、となると至難の業といえるかもしれない。
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