スイスに行く決断
『~自分はなんとも傲慢にできた人間だ~』
22.11.04
という実感。何度か友人に言われたように。自分でも思うその一面。
大学にのこり勉強をがんばっても、そして理想のドイツ語1級、英検1級をとっても、『この傲慢さ』:(自分はひそかにすごいという感覚、自分は周りとは出来の違う人間、という感覚)はさらにエスカレートするばかりだろう。今でうまくいってない人間関係が、資格をとったからといってうまくなるはずはない。社会的に評価されて自信をもったからってよくなるとは思えない。
だから、自分らしくない“切り詰めた”生活をつづけるまでして大学にいる意味はないだろう、と思う。もちろんこれまでも一度休学したときから、2年という時間(もうそんなになる)、思考に思考をかさねて、あるときは「そのとおりだ」、と、あるときは「違う!」、と、自分の中に激しい矛盾を感じて、もがいてやってきた。
気持ちよい答えなんて出ない。それくらい問題は深い。しかしこの2年、大学になんとか残るためにもがいたのではなく、自分を発見するためにもがいたんだ、と自分では思う。なんでこんな苦労をしなきゃ自分がわからないのか、そもそもなぜ“自分がわからない”人間にそだってしまったのか、自分でもわからないが。
でもこの苦しい期間を歩む中で多くを学べたことや振り返って、よかったと思えることは事実だ。 言葉も満足に出来ないという環境に一人で乗り出す不安。長い目でみなくてはやっていけない。生活は出来るだろうが、果たして幸せになれるのか。家族は持てるのか。生涯孤独のまま終わるのではないか。大卒という資格がないことが、これから長い人生にどういう影響を与えるだろう? もしスイスに住むとしたらスイス人となるのだが、目の症状はこのまま進行していって、もし失明したら、どうなるというのか。そういうようなことが不安で、これまでそういう不安のない、そして苦しいが、勉強もできるし自由時間も多い、大学という環境を選んできた。
でも、今、私が選びうる道で、不安がない道などない。だから、できるかぎり冷静に、気分に任せない選択をしなければならない。それは人生が深まれば深まるほどそうだと思う。若いうちの気は移ろいやすい、と聞くが、残念だが私がどうがんばったところで、10年度の自分の判断力には負けるだろう。たった2年前の自分だっていまより幼い。 積み重ねになる生き方をしなきゃならない。他人任せで単純気ままな生き方は、将来に暗雲を投げかける。今大学をやめることは、一見このことにそむいているように見えるかもしれないが、逆に大学をやめると、これまでの苦労は水の泡かといえば、そうでもない。
大学4年通ったところで、退学。同期の連中と一緒に卒業。 みんなは正式卒業。僕は自主卒業。笑
スイスに行く。
22.11.04
決断後の様子はまったくはっきりしない、この自分という人間
23.11.2004
21日(日) カラテ学生大会応援
関係の微妙である(打ち解けてもいない、中途半端な関係の)仲間のカラテの試合の応援に行った。自分は週1の稽古にも出ていない状態だったから出場するチャンスを得ず、ただ、応援しに行った。 新人戦で、白帯の目立つたいした試合ではなかったが、自分がまともに練習して出ていたなら、優勝も夢じゃない。そう感じた。
だから、逆に 自分が適当な、生半可な気持ちでカラテを始めていたことを自覚。 何事も本気で取り組まねば迷いを招く? 何事もその物事に対して誠意ある取り組み方をしなければ、迷いを招く。半端な気持ちで扱ってよいものなど、本来ないのだろう。必ず自分につけが回ってくる。
22日(月) 塾講師で一時的に教師熱が復活
試験対策として自習時間を与えたにも関わらず、自分たちから勉強に励まない生徒たち。 ふざけていた生徒に対して、塾長までが僕のクラスに入ってきて生徒を注意した。生徒に厳しく示せない私。叱れない私(相変わらず)。
この時は納得いかず、授業の最後になって、15分を全体授業に当てた。厳しくやった。「おまえらこれをやったほうがマシだ!」、と、試験には出題されない内容をやった。(生徒に反対されるのが怖いからこれまでこういう行動は極力避けた)
その日、生徒に学校のプリント類から近い試験の対策問題を作ってと言われたので、塾に残ってそれを終電ぎりぎりまでやった。できた問題は見直す時間がなかったにも関わらず、よく出来ていた。 必死になってやった。きっとだから、ひさしぶりの充実感があったし自分の能力が最大に生かせた。A44枚にもなる問題を作った。
そういう授業のあり方が、教師としての自分の、本来のあり方だと思った。この感覚を覚えたまま、先生をやめるのは、気もした。
あの青梅の地で、英語の先生に専念する、そんな道も考えた。2年近くあの塾にお世話になり、塾長の人間性からは多くを学ばせてもらった。将来の自分の像として、彼のような人間になりたい。というのもあるのではないか。(生徒にゲームボーイを借りてドラクエに夢中になっちゃうような、子供心とか遊び心の分かる先生だ。) 自分の中で、“教師”という職業に対する関心は密かながらとても強いと思う。 はっきりしたこと。先生だけでなくなんでも、やはり、熱意をもってしか、本当の仕事力は身に付かない。「専念」することによってしか仕事力は伸びない。
23日(火) ドイツ語検定2級受験
意外にも、できた。というか、問題が簡単に感じた。 最近の精神的な動揺のせいで何も勉強してなかったから、返って、もう行くだけ行って受けるだけ受けるという、リラックスした状態にあったから落ち着いて臨めたんだと思う。合格できるような気がする。 (これから資格試験はこういう状態で挑むべきかもしれない。マジで。今日のリラックスがあったら準1級は受かっていた)
自分はできる‐従来の夢、英語、ドイツ語、日本語を駆使して活動する国際人になれる‐という、また下手な時期に、変な自信を持ち、迷いに迷いが生じた。類は友と呼ぶというように、まるで迷いが迷いを誘うかのようだ。
この影響で、今日は大学に残ることをまた考えた。はっはっは。どうなってんだ俺は。 実家に帰って生活費を使わなければ、資金的にはもう一年学費は払えるから、その新たに生まれた1年で、ドイツ語や英語に加えて日本語教育能力試験、漢検2級ももう一度目指して資格試験に専念することまで考えた。まったく、すごい迷い様だ。
とりあえず、今あの大学で授業をまともにうけて、単位をとるということは考えられない。それは私のアレルギー対象だ。そうやって勉強するのは、いままでの、あの高校時代のような、(興味による勉強でなくして)我慢による勉強になるからだ。 いままでは、大学で勉強する気にならない自分を精神的な支え(家族や恋人など)がないからだと自己批判をしてきたが、つまり、一人で突っ張っているから、手が回らなくて勉強ができないんだ、というように。
「人間は一人では生きてゆけない。」そう兄貴には言われた。 でも「人間は一人では生きてゆけない」という言い方自体、とらえ方はいくらでもある。まず「一人」ということをどう定義するか、物理的なものか、精神的なものか、なんなのか、というように。自分が苦しむのは、自分が生きていくうえで、どこかに無理が生じて、自分の考えていることができないからだ。
それは一人だからとかそういうことではなくて、自分が単に自分のやり方を分かっていない。自分らしい生き方が分かっていない。生きるべき生き方が分かっていないからだと思う。それは本人が気づいて直すほかに方法はない。それには大抵挫折とかで苦い思いをすることで気づく(私の場合はほぼいつもそうだ)。
私の場合、そういった精神的な負担のせいで、きっと目を悪くした。自分の能力を信じようとする反面、自分の能力の微妙な限界が分からず(これは本当に分からないものだ。人生はこれを探してゆく旅といってもいいくらいだと思う)、あきらめすぎてしまったり、やりこみすぎてしまったり、それを繰り返す。それでそのなかで挫折を味わう。
これまでの友人に興味がない。最近高校の友が4年ぶりに集まって飲んだらしいが、彼らに、今度小川も来てよといわれたが、全くといっていいほど、興味がない。ひどい(この興味のなさ)。 というか、日本での私の友人関係で、スイスに行って寂しい思いを掻き立てそうな人物はほとんどいないかもしれない。家族と別れるのは、特に妹たちと会えなくなるのは、多少寂しくなると思う。 でも、ある意味で生まれ変わるんだと思っている。言葉が違うというのは大きい。しかも方言だ。まだ話せない、ドイツ語の方言。これを身に付けるのだから、大人として生まれ変わる気持ちだ。もちろん、どこまで身に付くか分からんが。
冒頭の『何度か友達に言われたように』というのはうそである。自己卑下。
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